おいでやす京都-OIDEYASU KYOTO-
  • ホーム
  • 目的・概要
  • 観光
  • 寺社仏閣
  • 観光施設
  • お土産
  • 京都の祭り
  • 交通
  • 観光プラン
  • お問い合せ

寺社仏閣
二条城
二条城 ■正式名:元離宮二条城
■住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
■電話番号:075-841-0096
■開閉時間:

午前8時45分~午後4時(閉城 午後5時)
※ 二の丸御殿観覧時間 午前9時~午後4時】

■HP1:http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
■HP2:http://www.nijoujou.com/
<入城料金>
一般 600円 中学生・高校生 350円 小学生 200円
※ 団体料金につきましては、一般の方のみ500円になります。
※ 一般団体は、30名以上です。
※ 学齢に達しない方は、無料です。
<入城料が免除される方>
※土・日曜日の市内小中学生,市内70歳以上の京都市敬老乗車証等をお持ちの方は本人無料。
※身体障害者手帳,療育手帳,戦傷病者手帳,被爆者健康手帳,精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方は本人及び介護者1名無料。

<指定文化財>
国宝(二の丸御殿6棟)
国の重要文化財(建造物22棟、御殿障壁画1016面)
国史跡、特別名勝(二の丸庭園)
世界遺産(古都京都の文化財)

徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。

幕府は二条城と称したが、朝廷側はこれを二条亭と呼んだ。
1601年(慶長6年)5月 関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は上洛時の宿所として大宮押小路に築城を決め、町屋の立ち退きを開始、12月に西国諸大名に造営費用および労務の割り当てを行った(天下普請)。造営総奉行に京都所司代板倉勝重、作事(建築)の大工棟梁に中井正清が任じられた。
1602年(慶長7年)5月 御殿・天守の造営に着工。
1603年(慶長8年)3月 落成。但し、天守は1606年(慶長11年)に完成。
1603年(慶長8年) 2月12日家康は伏見城において征夷大将軍補任の宣旨を受け、3月12日に竣工間もない二条城に入城、同月25日室町幕府以来の慣例に基づく「拝賀の礼」を行うため、御所への行列を発した。それに続き、同月27日二条城において重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。この将軍就任の手順は2年後の1605年(慶長10年)に第2代将軍・秀忠が、1623年(元和9年)に第3代将軍家光が踏襲するが、第4代将軍・家綱以降は行われなくなった。
1611年(慶長16年) 二条城の御殿(現在の二の丸御殿)において家康と秀頼の会見(二条城会見)が行われる。このとき家康は秀頼の成長ぶりに驚き徳川家の天下が覆されるかもしれないとの危機感を抱き、豊臣家を滅ぼすことを決意したともいわれている。 1614年(慶長19年) 大坂の役が勃発。二条城は大御所(家康)の本営となり、伏見城から出撃する将軍秀忠の軍勢に続き、家康は二条城から大坂へ駒を進めた。
1615年(元和元年) 夏の陣においては二条城に火をかけ、混乱の中で家康を暗殺しようとした陰謀が明らかとなり、徳川方についていた古田織部の家臣が捕縛された。このため、古田織部は切腹、家財没収となる事件もあった。 1619年(元和5年) 秀忠は娘・和子の後水尾天皇への入内に備え、二条城の改修を行う。このときの縄張(基本設計)は秀忠自らが藤堂高虎と共に行った(秀忠は2つの案から一方を最終選定しただけだが、将軍自らの縄張りであると高虎に持ち上げられたのだった)。
1620年(元和6年)6月18日、和子は二条城から行列を作り御所へ入った。
二条城 二条城
二条城